クリストーバル・コロン『コロンブス航海誌』岩波文庫(原著1492

 

とんでもなく勇敢な人物がいたものだ。

行き先も定かでない、行きつけるかどうかもわからない、もちろん生きて帰れる保証もない。そんな大航海にあえて挑む。地球が丸いと信じていても確証があるわけではない。地平線の果ては断崖絶壁で、進めば奈落に突き落とされるかもしれない。しかし彼は、そんな不確かさと不安を数倍も上回る冒険心と野心を持ち合わせていた。

本書は「新大陸を発見した」とされているコロンブスの航海日誌。正確にいえば彼が「新大陸」へ4度航海したうちの初回、14928月から約半年に亘る毎日の記録である。

三隻の船団の艦長として、不安がる船員をだましだまし航海を続ける。あまりの不安から船員の中から謀反の動きも出てくる。自身も確信があるわけではない航海中に、更に不安がる部下をまとめ上げてそれを遂行するコロンブスの指導力は見上げたものだ。

コロンブスは黄金の国「ジパング」をめざし、「新大陸」にたどりついた。しかし「新大陸」到着後のコロンブスほか船員の野心的行為は、決してほめられたものではない。ほぼ裸同然でくらす原住民は、目にしたこともない船やヨーロッパ人に接して、最初こそ恐れるものの次第に“天から降りてきたもの”とあがめ、食料物品、住居をみずから提供する。コロンブス一党も原住民に対して敢えて危害を加えることはしない。なぜなら彼らから情報を聞き出し金goldを入手する、金鉱を探し当てるという大目的があるからである。結局この野望はこの時点では成功しないが、この航海の後、ヨーロッパの新大陸への「進出」と「侵略」は本格化する。これが世界資本主義の始まりであり、同時に西洋型「開発」のグローバル化の端緒だった。

面白いのは、「資本主義」「開発」の先駆者であったコロンブスは野心家ではあっても、根っからの「侵略者」とか「悪人」などではないことである。目にする島や岬に次々とかってに名前をつけてしまい我が物顔で探索をする。原住民の社会や生活を尊重する姿勢はほとんどない。金鉱探しに躍起になる一方で原住民をキリスト教化し「文明化」しようとも考えている。いってみれば彼らは「新大陸」においてすべて自分の利害と価値観にもとづいて行動しているわけである。…自らの先進国的価値観になんの疑いも抱かず途上国の開発に関心を寄せる多くの現代人とそれほど大差ないのかもしれない。善意のNGOワーカーさえも途上国にとってみればグローバルシステムを持ち込む「侵略者」だという議論さえある。

500年前のコロンブスの行動とその後の歴史の展開を考え併せて、われわれが何を読み取るべきか。「冒険談」「歴史記録」以上のもとして読んでみることに本書の面白みがあるだろう。

 

2013.9

 

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