グローバル都市香港

 仕事で香港に行った。

20数年ぶりに訪れた香港にはガラス張りの摩天楼が屹立し、繁華街には昔の面影もない。

ほうぼうにあふれていた露天商も多くは姿を消し、マーケットビルに押し込められた。

高齢化も一気に進んだようだ。

杖を手にしたたくさんのご老人が神戸北野よりも急峻な坂道を千鳥足で上り下りしている。


 本島上環(しゃんわん)地区に行くと自分がどこの国にいるのかわからなくなるほどの外国人があふれている。

どのカフェにも西洋人が昼間からビールと赤ら顔を並べて談笑しながら我が街の如くくつろいでいる。給仕をするのはほぼ決まってフィリピン人女性。

そこでは土着の中国系香港人は全くのマイノリティに過ぎない。

戦前の租界地たるやかくあるらんといった様相である。


 以前と変わらぬのは溢れんばかりの活気である。

1970年代80年代急速な経済成長で「新興工業国(地域)」NICs(NIEs)ともてはやされ世界の注目を浴びた時の主産業、軽工業品加工は、現在ではより安い労働力を供する中国本土や他のアジア諸国に譲り、今では金融センター、貿易拠点としての転身を遂げ、世界の富と人材を惹きつけている。活気の原動力である。


 振り返ってみれば香港は常に歴史に翻弄されてきた。

19世紀列強諸国がアジア進出した際、香港が中国とヨーロッパをつなぐ重要な要となり、富がヨーロッパに流出する窓口にもなった。

英国には阿片を売り込まれ経済的ダメージを被るばかりか社会退廃の原因にもなった。

19世紀半ば熱血漢林則徐が果敢にも西洋に立ち向かったが戦いむなしく破れ(アヘン戦争)、西洋列強の中国大陸侵略の端緒となった。

すべてその舞台は香港とその対岸地域であった。

第二次大戦中には日本による物理的、経済的に過酷な支配があった。

1997年英国植民統治から返還される際には、中国は体制転じて社会主義政権。

香港は自由貿易港、金融センターとしていわば社会主義計画統制経済の対局である資本主義の急先鋒として発展と遂げていた。

その水と油を融合させる「一国両制」(一つの国で社会主義、資本主義の二制度を保持する)という人類の実験に現在進行形で取り組んでいる。


 こうした大きな歴史的試練を課せられながらも活力を保ち続けている秘訣は何か。

それは常に変化する状況に対応し、新しい取り組みをしてチャレンジする姿勢であろう。

外国資本を積極的に誘致し、ビジネスエリートを世界から招く。サービス産業の労働力としてフィリピン、インドネシアから大量に移民を受け入れる。いったんこうした流入のベクトルが働き始めると自然にそれが加速化する。富も人材も蜜に群がる蟻のように集まってくる。


 今回の訪問中に香港大学も訪れた。

香港大学は今や英紙タイムズ等の「大学ランキング」ではアジアでトップ、世界でも上位に入る。毎年1000人の外国人留学生を受け入れ、ほぼ同数の学生を海外に派遣する。

教員の約半分は外国人。

中国本土の優秀な学生の中には、名門北京大学、清華大学の合格をけってまで香港大で学ぶ者がいるという。

なるほど狭いキャンパスにはいろんな人種が満ち溢れ、活気に満ちている。

各所でセミナー企画やらケンブリッジをはじめとする世界の名だたる大学のセミナーブースの準備が進んでいた。

キャンパスを案内してくれた国際交流課の李さんは日本語に加え、中国訛りのない流暢な英語を話す。欧米への留学経験はない。

言葉の堪能さに加え、彼女は香港大学を出てまだ3年目という若い女性ながらその挙措振る舞いには落ち着きと自信があふれている。有能な人物に良くみられる傲慢さ、ぎらぎら感もなくむしろ余裕さえある。多様な刺激の中で育つ「グローバル人材」とはこんな形だろうかという思いを抱かせた。


 香港が常に新しい要素を取り入れチャレンジを続け、そして「グローバル都市」へと変貌してきた原動力は何か。

それは、香港人の政治への不信、国家への憎悪があるのだろう。

常に内外の権力者と国家制度による支配の中で翻弄されてきた経験を持つ。

自己防衛のために人々が最後に頼れるのはお金しかない、お金を稼ぐには自らが弱肉強食の世界をがむしゃらに生き伸びるよりほかに途はない。

こうした考えのなかから変転する新しい環境における新しい生き残り戦略を常に追求する知恵と術を蓄積・実践してきた。

その結果が現在の香港である。世界の動向に対応しながらいつのまにか自身が世界の人材と富を惹きつけるグローバル化牽引者としての役割を果たすまでに至った。


 政治的にも経済的にも岐路に立つ日本は、こうした活気ある香港社会をひとつの生き残りモデルとして考えなければいけないだろう。求められるのは状況に応じた革新と挑戦。


 しかし、一方で猛スピードの高級車が走り抜ける急峻な坂道のわきを蝸牛の歩速で杖を頼りにのぼりおりするご老人の姿が脳裏から離れない。

「革新」と「活気」は老人、弱者にとって住みやすい環境を提供しているのか。忘れてはならないポイントだろう。

 

2013.3